さて、明日は何をやろうかな。この思いを胸に眠れる日は幸せだ。空から降って、地から湧いてくる有象無象のタスクから開放される23時33分。バタースコッチシナモンパイを焼いてくれる白い母親はいないけど、十分幸せだ。寝る前に聞くこの楽曲はまさに希望と夢だ。ダジャレを言い合うチビ骸骨は扉の奥にいないけど。と、書いたところで寝落ちした。電気もつけっぱなしでさ。体はすこぶる調子がいい。喉は少し乾いてる。まだ寝ぼけてる体をベッドから起こす。この時間はまだ肌寒い。思考がクリアになってきた。さて、今日は何をやろうかな。

https://open.spotify.com/track/0xeDaa5RD48c59YGHim78S?si=kLYvGkwKSqeu0bQpg8FNXw

 

 

05/09/2019 ~ 05/10/2019  木−金 晴れ

就寝/起床 23:48/6:00

最大心拍数/最小心拍数 106bpm/46bpm

 

僕は本を読むのが好きだ。しかし、小説や純文学は嫌いだ。逆に思想や経済などは好きだ。だけど自己啓発は嫌いだ。但し、漫画は好きだ。それでもグロテスクなものは嫌いだ。けれど、デスノートは好きだ。かと言って、死神は嫌いだ。にも関わらず、メメント・モリは好きだ。ところが、西洋美術は嫌いだ。ところが、ダヴィンチは好きだ。でも雑誌のダ・ヴィンチは嫌いだ。だが、僕は本を読むのが好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山手線に揺られながら。

日記を書こうと思う。タイトルの●は日記の意味をもたせたい。日記ではこのブログのコンセプトを無視した形になるので、読み手を意識することも、書き方や文体を意識することもない。ただただ感じたことを、自分のために書きたいと思う。

 

 

満員電車の中、ぼーっと考えていた。この電車に乗っている人、銘々が自我やバックグラウンドを持つ。量も形も意義も全く違うのに、同じ箱の中をそれらが蠢いてると考えると、吐きそうになった。その状況から逃げ出したくなった僕は、車内の広告に目をやった。しかしそこにも紙の上に乗った色鮮やかな意思たちが僕を迎え撃つ。なんだこれは、いつの間にメメントスに紛れ込んだのか。イゴールに出会っていない僕は、なすすべなく刈り取るものにやられるんだろう。とか考えてたらあっという間に渋谷だ。降りなきゃな。

 

5/8/2019 水 晴れ/曇り

就寝/起床 23:34/5:13

最大心拍数/最小心拍数 113bpm/43bpm

 

知らんけど。

〜〜〜〜〜〜〜だ。知らんけど。

この最後に付く「知らんけど。」が大嫌い。自分の意見を、全否定しつつ、他者との摩擦を避ける。僕の中で、オクラと同じくらい嫌い。オクラは小さい頃に食べて、ネバネバフサフサニガニガだった記憶から嫌いだ。そういえば多くの子供が、酸味や苦味がある野菜を嫌いな理由は本能からだそうだ。腐敗物や、毒素のあるものを本能として避けるよう人間に設定されているらしい。しかし大人になるにつれて、野菜が苦いのは、毒素や腐敗しているわけではないとしる。そうするといつの間にか食べられるようになるらしい。なるほどな、人間ってのはよくできてる。オクラはここ数年食べていないので、もしかしたら今食べたら美味しいと感じるかもしれない。

もしかしたら「知らんけど。」も好きになってるかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに知らんけど。とは書かないよ。まだ好きじゃない。

噛み砕く

僕がサッカーを指導する時、大切にしていることがいくつかある。これは人生においても重要だと考えているからここに記そうと思う。一つ目は、噛み砕いて伝えるということだ。僕らは、複雑で難しい言葉を使いがちだ。共通の理解と知識があれば問題ない。しかし多くの場合で、受け手の意欲を削り集中力と理解を妨げる。実際にこんな言い方をしている指導者を見たことがある。この時の受け手は小学生だ。

「ハーフスペースに、選手を配置し数的優位と、位置的優位を作り出す。そこにボールをつけて、相手のブロックがずれた隙をつけいる。時にはサイドチェンジも有効だ。サイドチェンジをした際には、ハーフスペースにいるサイドバックはインナーラップをするように。そしてボックスに入り、勝負だ。ポケットに入った時は、低弾道のクロスを選択するように。敵をボールウォッチャーにしてやれ。また守備時は圧縮するように。網の目を細かくしてやることで、ここでも数的有利になる。ただ気をつけろ。近寄りすぎても遠すぎてもダメだ。適切な距離を保て。適切な距離は自分で考えろ。」

うん、書いてて頭が痛くなる。もちろんこれらを理解する選手は、ほとんど大人しかいない。しかも現状のサッカー界隈では、大人も理解するかまだまだ怪しい。このように難しい言葉を難しく説明することは簡単だ。難しい言葉は、世の中にありふれている。しかしそれらをシンプルに噛み砕くことは容易ではない。だからこのブログのコンセプトは「中学生でもわかる」だ。シンプルでイージー。常に追求していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこの複雑で難しい言葉を使った指導者、それは数年前の僕だ。

コーチングとティーチング

僕は今、小学生を対象にサッカーを教えてる。教えてるという表現は間違ってるな。教わってる。これも違うな。共に学んでいる。うん、しっくりくる。僕はこのスタンスを大切にしたい。教えてるという状態は、彼らより上に立ち、前に導く。ただそれは僕の知っている道にしか彼らは進まず、驚きも爆発もない。だから僕は教えない。共に学ぶんだ。わからないことは共に考える。そして共に解決する。そうすると、想像を超えた発想が、彼らのおかげでグツグツ湧き上がってくる。そのグツグツこそが僕の幸せだ。けど、ちゃんと答えは前もって持つようにする。彼らと学ぶといっても、何も知らない人に、教わるのは僕も嫌だ。コーチングとティーチング。これの使い分けが難しい。僕もまだまだ間違える。分量が難しい。今日も課題と答えを持って、彼らとサッカーを楽しもうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーチンティーと、意図せずどちらも食べ物になってしまった。

平成

改めて、平成に生まれたことに誇りを感じる。

テクノロジーは進歩し、世の中は便利になった。いつでも好きな人の声は聞けるし、行こうと思えば、地球の裏側まで1日強で行ける。立体に見える映画も、ツールを使えばどこでも観ることができる。急に僕らは莫大な自由を得た。

そして同時に不安も覚えた。

隣人の監視に怯え、SNSでの評価を気にして生きていく。表の自分と裏の自分の区別をつけれず、自らを見失った者もいる。世の中が便利になっても死にたいと発言する人間をたくさん見かける。好きな人の声をいつでも聞けるから、自らがやらなければならないことをほっぽり出して、小さなデバイスに釘付けにされる。

自由を得て、不安が増えた。

こんなことなら不自由でよかった。そう言いたい自分がいる。だから僕は今日も映画を見る。映画に縛られる2時間は、自由はないが不安もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばれいわ