スーパーヒーローになりたいと思っていた僕が、サラリーマンになるまで、20年かかった。現実は僕らに現実を叩き続け、今までは自尊心と熱量と現実知らずと、ちょっとの希望でガンガンに回していた世界が脆く崩壊したのだ。悔しくもこれ以上戦わなくていいと思ったら安堵の息が漏れた。小さい頃は、3分しか戦えないヒーローに憧れた。少し大きくなると今度はマスクを被った人に憧れた。小学校に入ると、テレビに映って、日本を背負って戦っている勇者に憧れた。中学に入ると地元の、賃金をもらってサッカーをしている人たちに憧れた。高校に行くと、サッカーをしてお金をもらうことは無理だと悟った。大学に行くと、好きなことをしてお金をもらうことは難しいと悟った。ヒーローになることも、テレビに出ることも、国を背負うことも、サッカーをすることも、難しいと悟った。あれ?いつから僕は悟りを開いたんだ?仕方がない、仕様が無い、お金がない、時間がない、夢がない、やりたいことがない。生きてるか?息してるだけか?意味あんのか?少しの闇に飲まれかけた。サッカーがしたい、ヒーローになりたい、世界を救いたい。最近声に出すようにした。闇に片足突っ込んだ自分は、振り払うように、ちょっとの希望を吐き続ける。10年経ったあと、まだまだ吐き続けてるか今から楽しみだ。

今、急激にレベルが上がっている気がする。頭の中で、某龍冒険RPGの音が、毎日頭の中で鳴りまくってる。もちろん嘘だけど。龍冒険でも最後の幻想でもそうだが、レベルアップが即時にわかり、あとどれだけ経験値貯めたら...可視化されてる世界って羨ましい。巨大な課題を倒し、ボロボロになったまま宿屋で眠る。しかし朝起きて、自分が強くなったかどうかわからない。わからないまま新たな課題に立ち向かう。立ち向かってる際、あれ?なんかちょっと強くなってる??なんか楽になってる?と思う。そこで僕らは初めてレベルアップしたことに気づく。でも、そのレベルアップしたことに気づかず、こんなこと無駄だと絶望し宿屋から出てこない人もいれば、レベルが2なのにゾーマに挑んで、レベルアップしたかもわからないで、「おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない」と誰かもわからない偉そうな人に言われて病んでしまう。そもそも経験値がどうやって入ってるかもよくわからない。青いプルプルしたものを叩っ斬ればいいのか、それともベッドの上で情緒的にバニーのお姉さんと果てればいいのか、それともそれともそれとも。。ま、死ななきゃいいか。ゲームの中の僕にたくさん死んでもらって、コントローラーである僕は、それを学んで生きて行こう。

久しぶりに、日記を書く。自己を表現するのが疲れた自分は、いつの間にかブログを開くことすら億劫になっていた。どれだけ、PCに触ろうともめんどくさいと思ってしまえば、おしまいだ。何度も書きなぐった下書きが、どこにあるかもわからないサーバーに溜まっていく。かわいそうに、日の目を浴びることがない文章たちはどう思っているのだろうか。もしかしたら彼らはホッとしているかも。こんな醜態を晒さなくてよかったと。下書きを開くことは、今後もないので、彼らはホワイトアスパラガスのように真っ白になるんだろうなぁ。とか変なこと思ってたけど描いてる時に気づいた。あ、文字が真っ白になったら何も見えねえじゃん。馬鹿馬鹿しい、風呂に入れ自分。

就活中だ。やっぱ人とお話しできるのはすごく楽しい。就活は恋愛ゲームだ。相手の求めてる答えを的確に時間内に簡潔に伝える。あ、これ、ときメモだって気付いた時は、就活がぐっと楽しくなる。人事も人だ。攻略対象の女の子の好みが変わるのと同じで自分の話をするのが好きな人事もいれば、僕たちの話を聞きたい人事もたくさんいる。感情で関わるのがベストか、論理で関わるのがベストか。何を聞きたいのか。面白い方が好きか、硬いやつが好きか。たった一時間以内で、見極めなければならない。そこに自分の個性を乗っけて、企業のバリューやミッションとすり合わせて。書き出したら大変そうに見える。始めたばかりは、人事が竜王にしか見えなかった。けど違う。ときメモ。就活って面白い。自分のやりたい方向が見えてくる。さあ今度はこっちの番だ。恋愛ゲームだ。就活を攻略しろ。

 

僕にとって、お金はゲームのスコアでしかない。それはまるで、ポケモンピンボールの左端に表記されるやつだ。行動をして、何かに当たるとチャリンチャリンと増えていく。意味がないわけではないが、貯めたところで最後にはすごいね、ランクイン!と言われてゲームオーバーだ。あんなものに執着し、あれによって人生が狂い、時には人格を変えてしまう。なんて醜いゲームなんだろう。人生はスコアじゃない。と、誰かが言ってた。スコアはスコアでしかない。結局誰かに認められたいだけなのかもしない。お金を稼いでも、行き着くところはゲームオーバーなのだから。ならゲームの中身をよりよいものにしよう。ここでいう良いは、人それぞれの基準を持つ。人生を無駄に消費するな。酒に溺れるな。スコアで人を陥れるな。自分のゲームを輝かしいものにすることを最優先せよ。

昨日、小学時代の友人たちと、バーベキューをした。そいつらは、僕にとって数少ない心を許せる友人たちだ。共通点は、サッカーを一緒にやり、中休みではドッヂボールをし、何かあっては集まり酒を飲む。最高の友人たちだ。彼らに何を言っても自分を変人扱いしないし、はたから見たら変な行為も、笑いに変えられる。今年で22歳になる僕たちは、22時の川岸で、全力で鬼ごっこをするのだ。誰一人嫌な顔をせず、サッカーで鍛え上げた体躯でガチの鬼ごっこ。これが面白くないはずがない。ブラックジョークを言っても、嫌な顔をしない。むしろ倍になって帰ってくる。SNSが発達し、様々な関わりを持てるようになったこの時代に、軽薄でない友人関係を一つでも持っていられる自分は幸せだと確認したところで、今日の日記は終わろうと思う。彼らのためなら火の中に飛び込める。そうやって勝手に思ってる。

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「飽きた」

「何にだよ」

「昨日のことを考えるのに」

「何言ってんだい。」

「何って、昨日のことだよ」

「そうじゃなくて、考えた理由だよ。」

「何の話をしてるんだ?」

「こっちが聞きたい。俺は、君の昨日のことについて尋ねてるんだよ。」

「ああ、昨日起こった出来事について悩んでるんだ。」

「知ってるよ、だからそれを尋ねているんだ」

「それと言ってもいろいろあるぞ」

「あー、だから君の 昨日 何が起きたか 聞いてるんだ。」

「だからそれは」

「おっと、あることが起きたのは知ってるぞ。具体的に事細かく何が起きたか頼む。」

「具体的にか。朝起きてからな、いつも通りのルーティンを行なった。歯磨きと

「ちょっと待て、それは君の悩み事に関係するのか?」

「いや?いつも通りの僕を示すために必要だなと」

「いや、いつもの君は知ってるから、端折ってくれて構わない。」

「そうか、なら」

「いや、ちょっと待て。時間切れだ。これから授業だ。また暇なときにでも。」

「なんだい、行っちまったよ。昨日友人に、一昨日の話が伝わらなかったことを悩んでいたのに。全くもう。今日も悩むはめになっちまったよ。次も誰か聞いてくれるかな。」